2009年11月30日月曜日

前原冬樹展「wooden sculpture」@YOKOI FINE ART(09年1月17日~2月14日)



















YOKOI FINE ARTは別の作家さんを07年のアートフェア東京で気になっていたギャラリーなのに、結局前原さんの展覧会まで来た事がなかったな。それも、昨年に神楽坂のギャラリーが白金に移転したから覗くようになったんだろうなぁ。割と自分の好みに嵌る、あるいは無視できない力を放つ作家作品を取り扱うギャラリーである事に今年になって気付き、なんて勿体ないと。まだ行っていない、知っているギャラリーは本当にたくさんあるので、今年の最後一カ月はそういうところにも行ってみたいもの。

さりげないモチーフの作品を、一本の木から切りだすことで作る前原さんの展覧会。さびた缶や熟れた柿、木工をする為の道具などを、木から彫り出し(?)それに彩色しただけで作り上げられた作品が出展されていたのですが、元々は藝大の油画出身だけあって、非常にリアリティのある質感が醸し出されていました…が、それも木から彫り出す技術力と表現力の高さがあってこそ活かされる物であって、それじゃあ元々の木からどうやって彫り出されてるんだろうと、制作過程にまで自然と関心が行くぐらい、作品世界に引き込まれていました。

山田郁予展「いいわけ」@高橋コレクション(白金)(09年1月10日~2月7日)



















西尾さんの展示と同日にこの作品を見ていたとは。昨年だったか、三嶋りつ惠さんや森山大道さんが一日二日ながら同時期に展示をしていた清澄白河で感じた事ですが、見たいと思い見に行った美術館で受ける感銘を凌駕する展示が展開される時がギャラリーではたまにあるなぁと。既に国内の現代美術界では評価された作家さんであり、足で探して見つけた展示という訳ではないけど、自分の中になかった価値観を提示されてこれだけ興奮出来るんだから、ギャラリー巡りは止められません。たまに休んでるけど。

支持体はトレーシングペーパーと言う、薄い網状の布見たいな感じなのかな?布と言うには硬い質感のように見えました。そこに描かれるのは、ガーリーと言えばいいのか漫画風と言えばいいのか、そういう言葉を想起させられるような女の子やお花畑。でも、ここ数年の流行りでもう食傷気味な絵に比べると、ある意味幼稚で粗雑な描き方をしている気がしました。そうやって描かれた女の子やお花畑が、抑鬱気味なリズムを持って大きなトレーシングペーパーに叩きつけられてる、そんな感じです。

興味のない人はそれが美術だと思わないだろうという辺り、いかにも現代美術然としているかもしれないし、有無を言わせないその抑鬱さは美術という枠を超えて、「共感」を鑑賞する人に「強いて」いるようにも思います。見る側としての自分が、メッセージを勝手に読み取っているだけなのかもしれないけれど。音楽で言えば、Coccoちゃんや椎名林檎、山本美絵あたりだろうか。

作家のステートメントを見てると、自分を見ないでくれ、作品も出来れば見ないでくれ、作品を見て評価されるのは嬉しいが、私の思うある一線を越えないでくれと主張しているようですが、美術作品を制作し発表する以上は作家自身を見られ、作品にも作家本人にも勝手な解釈が加えられるのが、ワイドショーと芸能人の関係みたいですが、今を生きる、しかもメディアが発達した時代の作家の運命だと思います。

そう言えばこの展覧会以来名前を聞かないのも生々しいのですが、見られる事に割り切りを覚えないで今の作品を作り続けてほしいなぁと思います。僕は好きな作家さんです。理由はない。

西尾康之展「DROWN」@山本現代(09年1月10日~2月7日)















そりゃ印象に残る展覧会になるわ。写真で見ても怖いよ。

「G12」というギャラリーディレクターを扱った書籍にて「ショッキングな作品でもギャラリーでリアクションを確認するという過程を経て、美術館で正当な評価を受ければ良い」と、山本現代の代表 山本ゆうこさんが話をしていたような気がしますが、その時引き合いに出されたのがこの展覧会だったっけ?自宅の上の階に行って確認するのが面倒くさい。

西尾さん自身おぼれた経験があるそうで、人を生かしも殺しもする水の恐怖から、水が間に立つ「死」をまぬがれる為に水棲生物になりたい、みたいな願望が作品に昇華されているようです。だから、西尾流の巨大な人魚が場内で浮いているのですが…3メートルはないよ、怖いよ…。添付している写真で、その3メートルの恐怖の前に横たわっている、骨が見えてミイラ状になっている女性もまた人魚だそうで、サイズで言えば一般的な女性よりも大きめの体躯なのかな?存在し得ないモチーフで、触ったら明らかに造られた存在なのに、作品を見たと云う経験が、夢や記憶の中で勝手にリアリティを増幅させて、作家さん自身は生きることへの渇望に近いような感情から作品を作っているはずなのに、死への恐怖を味あわせてくれます。だって、勝てないRPGのラスボスみたいなんだもん。

同時に展示されていたドローイングや立体の小作品など、習作ともいえる物はそういう強さも薄まって、かっこよかったですよ。

ドナ・オン展「A SLEEP, A ROOM, AWAKENS」(09年1月9日~1月30日)















アートフェア等の記事はギャラリー展示を書き終えたら書こうと思いますが、アート@アグネスにワダファインアーツから出展されており、チラシをもらったことで足を運んだ展覧会。会場に入ると、作家さんらしき女性が展示替えについてスタッフさんと打ち合わせをしていた以外は、作品の表層が静かな雰囲気をたたえているのと、築地や銀座の裏通り川沿いというロケーションも相まってか、場内は凪の海のような雰囲気になっていたように覚えています。

出展作品は2パターンで、映画史において象徴的な「部屋」をイメージした彫刻を自ら制作し撮影、それをさらに抽象化した新しいイメージをドローイングとともにアクリル板に転写し、さらにその板を何層にも重ねることで一つの「部屋」を創り出している…そうなんです。制作過程に反するようにノイズのない透明感のあるその箱に見とれてはいたものの、そこまで価値観や素材ともに重厚な作り込みがされている事に、当時は気付きませんでした。どこかのアートフェアに改めて出展されたなら、そのことを留意してじっくりと見たいなぁと思います。

そして、個人的にこの個展が印象の強いものになったのは、この記事に載せている写真が断片である映像作品。一対二体の人形が向かい合う背景で、カーテンが風に動いているからようやく映像だと分かるぐらいの、本当に静かな作品。作品で使用された人形は曰くつきみたいで、聞き間違いでなければ、日本のある場所に纏めて展示してあったものの、戦時中の日本では表には出る訳に行かず、廃棄寸前だったり国外に流出した西洋人形が、改めて再会するというモチーフの映像作品のようで、その事について詳しく書いた新聞のようなものも作品の隣に貼ってあった気がします。この人形自体はモチーフ通りの歴史を辿っている物なのですが、作家さんのコレクションした人形でもあり、目の付けどころの凄さにもビックリするところ。とはいえ、僕の聞き違いで、このエピソードが総て僕の妄想かもしれないのですが。

動きがなくともその意味で楽しめる映像作品というのもあまり見たこともなく、疲れるのであまり映像を見ない(ヲイ)自分でも思わず心奪われて見続けてしまう、求心力のある作品だったと思います。映像作品の方は、ART OSAKA09で再会しました。何かご縁がある作家さんなのかも。

内海聖史展「色彩のこと」@スパイラルガーデン(09年6月30日~7月12日)















主に作品の発表をしているレントゲンヴェルケを通じて、色々とお話しさせてもらったのがご縁で、1月のレントゲンヴェルケでの個展「十方視野」、今回記事に書いている「色彩のこと」の両方の設営を、微力ながらお手伝いさせてもらっているので、今年観に行った展覧会の中でも特に印象的な作家さんであり作品です。

中ぐらいのサイズの作品が、2階層のギャラリーに80点強展示された驚異的な「十方視野」@ラディウム―レントゲンヴェルケ、東京都現代美術館の常設展では、「三千世界」の作品が壁を埋め尽くしました。作品を見るその空間や動線も作品の一部だという内海さんの意思が反映されたような「千手」@ギャラリエアンドウ、見には行けなかったけど、いつもとは一味違った展開を見せていたっぽい「ボイジャー」@エンアーツ、グループ展では「掌9」@ラディウム-レントゲンヴェルケでの、茶器のような木工の球体の中に絵付けをした意欲的な作品など、今年1年ワーカホリックなまでに展覧会が続いた中で、内海さんの作品では最大サイズの物が出展された、「色彩のこと」はやっぱり、より強く印象に残っています。なんせ作品が立ち上がる瞬間を目の当たりにしているので。

円や点のカラーフィールドに意味のある余白を抱えた内海さんの作品は、自然を想起させる色彩の作品を個人的に気にいっているからか、「十方」や「千手」という言葉からも想像させられる「森羅万象」というスケール感が、小さな作品も孕んでいて凄いなぁと思います。空間によって見え方も変わる作品なだけに、今後もどんどん個展を期待しています。